渡辺清次郎ホーム

撮影=鈴木信幸(
菊名駅周辺)

第18回総会(1979年)

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東京争議団議長当時の渡辺さん(左から2人目) 富士電機包囲抗議行動(1979年9月30日丸の内中通りでの昼休みデモ)

はじめに

この一年、私たちはまた多くの争議の勝利を、自らのものとし、また引き続いて勝利を身近かなものとしている少なからぬ争議組合があることを確認しています。

たたかえば必ず勝利を自らのものにできるという、この時代の特徴は、一言でいえば、資本主義の矛盾が、もどりようのない地点にまで来ていることの証左にほかなりません。このことを現実的な言葉に現せば、1東京総行動を中心としたさまざまな統一行動―総行動路線―の発展であり、2独占資本と自民党政府の側は、この危機の時代を乗りきるために、労使の安定体づくりをその中心におき、争議の拡大―労働組合運動の高揚を押さえようとしていることにあります。

極言していえば、労働戦線統一“下からの統一か、上からの統一か”の攻防が労働争議の帰趨を決するのだと言っていいのではないでしょうか。むしろ、最近の裁判所の動向は、三権分立を乗り越えて、これらのイニシアチブを握っているかにさえ見えることの危険さに注目する必要があります。

私たちが闘争の現場から、労働戦線の統一をどう見ようとするのか。右翼的労働戦線の統一があたかも急速に進むかのようなマスコミを始めとするさまざまな論調は、一見当たっているようにみえます。しかし、これらの論調に欠落があるのは上からの、幹部と言われている人たちの言論のなかからのみの分析であり、職場の矛盾の深まりや闘いの現場から、今なにが起き、また起きようとしているかを見ない結果に起因しています。私たちの結論は明白です。独占資本や右翼的幹部がどう意図しようとも、彼等の意図通りに物事は進行しないし、今日の上部構造は、下部構造を押さえていないし、押さえる自信ももっていないという結論こそ、この五年間――七〇年代後半――の帰結だったといっていいのではないでしょうか。

五年前、私たちは「苦痛のなかに身を沈めるかそれとも立ちあがって統一の喜びを分かちあう時代にすすもうとするのか」。

私たちは今、東京地評を中心に、首都の労働組合運動の行動をとおしてつくり上げてきた統一の前進と、この前進が着実に全国に拡がり始めていることに、確信と喜びを分かちあえるのではないでしょうか。

総行動の「質的発展」ということを強調してから数年たちました。この一年のたたかいは、この発展の可能性と条件をつくりだしています。それは、資本の新たな攻撃によってもたらされるという弱点を内包してはいますが、造船のたたかいが総行動のなかにしっかりと坐り、マル生攻撃とのたたかいをつうじて東京を中心として大量解雇を受けた全逓のたたかいが坐り始めたことであります。

あれは争議支援の運動だ、民間中小のたたかいだとの一部にあった指摘も、減量経営の名のもとに進行する入べらし、行政改革のもとで進行する官公労働者の人べらし「合理化」、資本の攻撃の厳しさは、統一を一層促進させるという皮肉な弁証法こそ、運動の創造性を求めていることに気付くはずであります。

とまれ、この創造性を最も求められているたたかいに沖電気の争議があります。十ヵ月におよぶ生みの苦しみを経て、全解雇者の統一による沖電気争議団の結成は、新たな実験だといっていいでしょう。十ヵ月の月日を後むきに総括するのか、前向きに生みの苦しみをむしろ武器にするかは、八〇年代前半の争議運動の前進を保障するかどうかの試金石ともなると考えます。八〇年代の出発点に当たって、沖電気のたたかいを、当事者の意図を乗り越えて、舞台の上にかつぎあげることこそ、首都のたたかう労働者の責務であり、このことこそ、全争議組合のたたかいの前進と、首都の労働組合運動の下からの統一の前進を保障するものだと確信します。今総会がこの責務を立派に果たすことを信頼して!

東京地方争議団共闘会議第18回総会(1979年10月13日~15日労金研修富士センター)議案書より