渡辺清次郎ホーム

撮影=鈴木信幸(
菊名駅周辺)

第21回総会(1982年)

表紙写真=東京総行動10周年記念6.27総行動

表紙写真=東京総行動10周年記念6.27総行動

はじめに

この一年、私たちはかつてない様々な経験をしました。東京争議団共闘結成二○周年記念集会に参集した総評、東京地評を始め、単産、地区労、弁護士、学者、文化人、そして多くのOB、それは二○年間のそれぞれの闘いの場面に参加し、首都東京の地域運動の前進とそのなかでの自らの生き様を語り合い、今日の労働組合運動の現状の克服を語り合う場になりました。それは、本来ならなくなるべき組織であるはずの争議団共闘が、今日ますます、東京の闘う幹部、活動家の結集点としての存在になっていることであります。かなしむべき現実をうれうのではなく、むしろ、労働組合運動とは何かを今日的課題としてとらえなおす時期だという認識に立つことこそ、重要なのではないでしょうか。

闘う仲間たちの闘いがつくり出した東京総行動もまた一○年を迎えました。総行動一○過年の集会もまた、その思いを新らたにした一日行動であったと言えましょう。

歴史の一コマ一コマは変っても、東京の地域共闘運動が一貫して職場の地域から、一人々々の労働者の要求に依拠してつくり出したあらゆる傾向の労働者、労働組合の行動の統一を瞳のように大事にした、違いの強調するのではなく、一致点を拡大する努力こそ、私たちが全国に誇れる伝統であります。

この一年の闘いでこのことを象徴する闘いに北炭夕張の闘いがあります。六○年安保闘争と連動して闘った三井三池の闘いから二○余年、炭鉱労働者の闘いが東京に持ち込まれた時のとまどいが、東京・札幌・夕張をつないだばかりでなく、閉山反対闘争で炭鉱労働者が始めて山の再開を可能にする闘いを闘い抜いたことであります。夕張の仲間たちは、「直接に利害を共にしない東京の仲間たちがこれほど暖く迎え入れてくれると思わなかった」「東京の仲間にはずかしくないように闘おう」こう言っています。

また、九州からはカネミ油症の公害患者が東京で闘い始めました。カネミの闘いがいままで東京で闘われていなかったわけではありません。しかし、スモンに続いて、大衆的な運動になり始めたのは、私たちが一貫して主張してきたこと実践してきたことの評価のうえになりたっています。

そして、今日までの私たちの課題であった沖電気、東京電力の闘いの問題です。この十月沖電気支援中央共闘会議が発足したことでありましょう。私たちは第十八回総会で、「この創造性を最も求められているたたかいに沖電気の争議があります。十ヵ月におよぶ生みの苦しみを経て、全解雇者の統一による沖電気争議団の結成は、新らたな実験だといっていいでしょう。十ヵ月の月日を後むきに総括するのか、前向きに生みの苦しみをむしろ武器にするかは、八○年代前半の争議運動の前進を保障するかどうかの試金石ともなると考えます。八○年代の出発点に当たって、沖電気のたたかいを、当事者の意図を乗り越えて、舞台の上にかつぎあげることこそ、首都のたたかう労働者の責務であり、このことこそ、全争議組合のたたかいの前進と、首都の労働組合運動の下からの統一の前進を保障するものだと確信します。」

このことを実現しうる過程と、労働戦線の右翼的再編との関係こそ、首都の労働組合運動の今日的到達点だと言っていいのではないでしょうか。とまれ、直面する政治反動、司法反動、そして公務員にかけられた様々な攻撃のなかで「矛盾の矛盾の法則」を誰の手に握るかという創造の時代を人間の生き様として自らのものにした時、この時代の活動家としての喜びを共有できるのではないでしょうか。

最後にもう一度、違いを強調するのではなく、一致点をさがしてでも、統一の輪を自らがどれだけ拡げたかを、労働組合運動が人間と人間の連帯をつくりだそうとする運動だということを確かめ合う総会になるであろうことを信頼して。

東京争議団第21回総会(1982年11月26日~28日 全逓富士見ハイツ(伊豆長岡))議案書より