渡辺清次郎ホーム

撮影=鈴木信幸(
菊名駅周辺)

3-争議の値段

shoten10cover

「争議の値段が下がった」と言われる傾向をどう見るか

渡辺清次郎

今回の総会でいくつか気になったことがあるんですが、一点だけ指摘しておきたいと思います。

というのは、「最近の争議の値段が下がった」という話が出されていたことについてです。

一九六〇年前後から色々な争議にかかわってきましたが、七〇年代半ばから末にかけての、あのすさまじい争議解決ラッシュというのは正に“夢”だったですね。何がああいうラッシュを生んだのかというのは、もちろん“東京総行動”が創られていく過程とも結びついていますが、同時に“石油ショック”で財界が大混乱をするんですね。――国民的な総反撃を食って動揺する。その、“物隠し”等に対する国民の怒りと結びついて、争議団が地域的に組織をする“東京総行動”形成の運動が、70年代に入って始まるわけです。従って相手側は必要以上に妥協をしたわけですね。その当時の争議団がすばらしかったことを否定するものではありませんが、そういう時期があったんです。

そこで独占資本の側も権力の側も、「いいかげんにしなさい」と――。首切ったら金をボコボコ取られてですね、いかに悪かったかって企業の側が謝罪していたんでは、今日の困難な日本経済を守っていくわけにいかないじゃないかというんで、「もう五年くらい前になりますかね、労働省の中に“長期争議対策会議”――もちろんそういう名前をつけているのではなくて「労働組合課」ですけれども――がつくられて、しかも国家予算がついて、公安筋も全部含めて争議対策が行われて、争議に対する対応を本格的・組織的に始めたんですね。従って、「この争議はこういう力量だからこういうふうな水準で解決したらよろしいのではないか」というふうに、いつもいじめられている銀行やそれぞれの経営者に指導をするわけです。自分の争議のことで労働省へ行ったことのある人はわかるんですが、例えば、「あなたの争議は解決することになっているはずですが、和解がこわれたそうですねえ」なんてからかわれた争議団もあるんですね。中には激励されたところもありましてね。「いやぁ。あんたんところの経営者はいくら言っても分らないからもう少し頑張って下さいよ」なんて言われた争議団もあるわけですが……。向こう側がちゃんと争議の実質的力量を判断して向こう側なりの対応をするようになった。すなわち独占資本や権力は正確に対応するようになった。――これが七〇年代末からの動きです。従って、勝つのが当り前で、うんと取れるのが当り前で……というような時期はとっくに過ぎた。

すると、改めて向う側が動揺するような運動をどう構築するかということを抜きに「値段が下がり始めた」といって、それを労働戦線がいかに右寄りになってむずかしい情勢になったからだと言うのは、それは争議団の言い訳であって、――もっとむずかしい時にも勝っているわけですから――。

もう一回運動の力量というものを創り上げないと、値段の上がりようがないですね。それは東京総行動に乗ったか乗らないかなんていう問題とは全く関係なしに、相手側は正確に判断している。至って科学的に判断をして値段を付けてくれているわけです。

もう一回原点に帰ろうではないかという議論が三役会議の中でやられているそうですが、どんな困難な時期――今の情勢をどう見るかという時に、一方に大変困難だと言う人がおり、他方には今崎さんみたいに”大変楽しい時期”と言う人もいる。そういう情勢の見方と運動のつくり方というのは、争議団がいつも楽天的につくり上げてきたものですよ。情勢の認識を運動論につくり変えて東京総行動もつくり上げてきた。――梅田の委員長が勝利報告の中でいい事を言ってましたよ。当初はどうやって傷を負わせられないうちに早く争議を終わらせられるかというのが、単産を含めての共通の意見だったわけですね。それが、総行動に乗っかるんではなくて、総行動前にやるべきことを全部やって総行動で結着をつけるというような発想方法に変わるわけですね。だから運動というのはすばらしいとぼくは思うわけです。

1984年10月27日から29日まで開催された東京争議団共闘第23回総会最終日での発言要旨。

《争議の焦点》第10号(1985年12月17日)掲載